「相手の顔色」が気になる人へ|ほんとうの自分軸を取り戻す話

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「自分らしく生きたい。」
「もっと自分軸で生きたい。」

そう思っているのに、

  • 相手の顔色が気になる
  • 嫌われるのが怖い
  • 本音が言えない

そんな悩みを抱えている人は、とても多いと思います。

特に日本人は、

  • 配慮
  • 気遣い
  • 我慢

を、美徳として育ってきた文化がある。

だからこそ、

「相手を優先することが正しい」と思いやすい。

でも実は、その“正しい”も、無意識に固定化された思い込みだ、というのには
気づきづらい。

だから、「相手がどう思うか」ばかりを気にするようになってしまう。

どうしても。

すると、いつの間にか、

“自分の感情”
“自分の本音”

を押し殺してしまう。

そんなことを無意識にやってませんか?

私自身の苦しみの正体

突然ですが、私の話しをさせてください。

以前の私は、人のしかめ面を見るのが苦手だった。

相手が少しでも怖そうな顔をすると、

「あ、怒られた。」
「嫌われた。」
「否定された。」

そんな恐怖が湧き上がって恐怖、不安の感情がドバドバっ、
出てきて、プチパニックになってました。

そして、その感覚が嫌だから、怒った顔をしている人を見ると、
逆にイライラしていた。

でも、本当の原因は、相手の顔じゃなかった。

私はある時、信頼できる関係性の仲間内で、
その怒りを、実際に相手へぶつけたことがあったんです。

「その態度、ムカつくんだよね。」と。

すると相手は、

「え? ただ疲れてた。だけだよ。」

と言われた。

ん?

怒っているわけじゃない・・・・。

さらに周りの人たちにも確認すると、

「いや、怒ってるわけじゃなくて、疲れてただけだよ。」

と言われた。

え?

は?

うっ。。。。

その時、初めて気づいた。

私は、現実を見ていたんじゃない。

“過去のフィルター”を見ていたんだと。

幼少期、母親が笑ってくれると、安心できた。

逆に、しかめ面をされると、不安になった。

だから私の中で、

笑顔 = 愛されている
しかめ面 = 否定される

という、無意識の条件反射ができていた。

つまり私は、

相手の顔そのものに、苦しんでいたんじゃない。

自分の中にある、

「笑ってほしい」
「笑ってくれないと不安」

という思い込みに、苦しんでいた、だけだった。

だから、思い込みに気づけるってことは、その思い込みを外す、解除することができる、
ことを意味する。

なので、ヤッター!!!!! 

最高に嬉しい瞬間になる♪

で。軽くまとめると、

この世の中の全ての苦しみ、悩み、痛み、悲しみの原因は、100%思い込みだ。

それに気づけるか?気付けないか?

それだけだと思う。

でも、それに気づけたのは、怒りを出したからだった。

もし?

自分の人生で、信頼できる場がなく、怒りを抑え込み続けていたら、

私は一生、この無意識の思い込みに気づけなかった。

気づけなかったイコール、それは思い込みにずっと苦しむ人生になっていた、
ということになる。

だから今の私は、

怒りを出すことは勇気のいることだけど、心の底から信頼できる人には
しっかり伝えるのがいいと思う。
(※かなり難しいと思うけど。)

そして、いや、むしろ、

感情を出せることによって、自分の奥底にある、

  • 思い込み
  • 執着
  • 過去のフィルター

に気づくことができる。

だから、怒りは悪者じゃない。

怒りは第2感情と言われているが、その奥の第1感情には、寂しさ、人間共通の孤独が
潜んでいる。

怒りは、無意識を発見する入口になる。

「頑張って」で救われる人も、傷つく人もいる

例えば、

「頑張って」という言葉。

ある人は、「応援してくれた!」と喜ぶ人もいる。

でも別の人は、

こんなに頑張っているのに、さらに頑張れって言うの?
「今の自分じゃダメなの?」と傷つく場合がある。

つまり、言葉そのものが人を傷つけているのではない。

その人の中にある、過去の記憶や思い込みが反応している「だけ」。

だから、

“誰も傷つけない完璧な言葉”

なんて存在しない。

「生殺与奪の権を他人に握らせるな」

鬼滅の刃の、冨岡義勇の、

「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」

という力強い言葉があります。



それと同じイメージで解析できるイエス・キリストの、

「婦人よ、あなたと私は何の関わりがあるでしょう?」

という言葉。

実の母親に対して言う言葉?それ?って訝しげに思う人もいるかもしれない。

けど、私は、この2つの言葉に、

“相手の反応に、自分の存在を支配させるな!”

という共通した本質を感じてしまう。

ど・ストレートに言っちゃうと、相手のことは自分には関係ない、と。

こんな言葉を聞いたら一見、無責任に聞こえちゃうけど、相手の言葉、行動、それらすべてに
全く影響を受けない、という

不動心を得られることになる。

なので、逆に、

自分の言った言葉。

自分のやった行動。

それによって、相手が傷ついた。

でも、それはあなたが悪いんじゃない。

相手が傷ついたということは、

相手の中にある、

「これは絶対に正しい!」

という、

無意識の固定観念や、思い込みが、

浮かび上がったという「めでたい」ことになる。

つまり、あなたの言葉や行動は、

相手が、ずっと人生で苦しみ続けてきた、

“絶対的な正しさ”

に気づける、

大チャンスを与えた瞬間なんです。

だから、

「人を傷つけてしまった…」

で終わるんじゃない。

むしろ、

「おめでとう!」

「深い思い込みに気づけるタイミングが来たね!」

と、お互いに喜び合う。

その視点が、ほんとうの自分軸に繋がっていくんだと思う。

もちろん、自分の中にも、

  • 相手を傷つける癖
  • 無意識の反応
  • 思い込みのパターン

は存在している。

だから本当は、コミュニケーションは、

自分と相手と、100%お互い様なんです。

どっちが正しい、間違い、とかはないんです。

でも人間は、人類が長い歴史の中で作り上げてきた、

  • 倫理
  • 道徳
  • 正しさ

というフィルターを通して、

「どちらが悪いのか?」
「どちらが正しいのか?」

を決めようとしてしまう。

でも本当は、どちらかだけが悪いんじゃない。

お互いの中にある、無意識の思い込みや、
絶対的な正しさが、反応し合っているだけなんです。

だからこそ、

相手を責めるだけでもなく、

自分を責めるだけでもなく、

「自分の中には、どんな思い込みがあるんだろう?」

と気づいていくこと。

それが、

ほんとうの意味で、自分軸を取り戻していく「きっかけ」になると思います。

ほんとうの自分軸とは、「嫌われても平気になること」じゃない

自分軸とは、ワガママになることじゃない。

自己主張で押し切ることでもない。

相手を無視することでもない。

そうではなく、

“相手の反応に飲み込まれないこと”。

そして、

感情の反応を通して、

  • 自分の思い込み
  • 過去のフィルター
  • 無意識の恐れ

に気づいていくこと。

それが、ほんとうの自分軸を取り戻す、

ということ。

もっと端的に言うと、相手の顔色を伺うことを、

まったく気にせずに、「自分は何者なのか」

を、自分で設定することができる。

その能力を、私は、

“ほんとうの自分軸で生きる”

と、あえて定義したい。

もし今、

相手の反応が怖い。
嫌われるのが怖い。

本音を出せない。

そんな苦しみの中にいるなら、それは、あなたがダメだからじゃない。

ほんとうの自分に戻ろうとしている途中なんだと思う。

だから大丈夫。

「相手の顔色」が気になるその苦しみの先に、

ほんとうの自分軸はある。

というか、自分をみずから、ほんとうの自分を設定する。

それが出来るのがAI時代に、人間ができる唯一のことだと思う。

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